無知の恥
「無知の知」
古代ギリシアの哲学者ソクラテスが自らの無知を知ること,認めることの困難さ,その重要性を説いたとされる言葉.
私自身,このマインドは大切にしなければならないと思っている.
なんだかんだ弱くて脆い生き物である人間が,その生涯において自己研鑽を積むにはまず己の無知を自覚する必要がある.
それは単なる知識や学だけの話ではない.
技術的な分野や答えのない問いである人間関係の築き方,社会の捉え方などあらゆる物事において自分の無能を認める.そしてそれに悲観し絶望し自暴自棄になるのではなく,冷静に受け止め自己研鑽に励む...
少し戻ろうか.
自らの無知を自覚する.
それすらできない層は確かに分厚い.
このデジタル社会で本質も理解しようとせぬまま知った気になり傲慢に振る舞う奴らや,学歴・ステイタス至上主義に翻弄され,もしくは生来的なプライドが幅を利かせて自己保身のために無知を必死で誤魔化そうとする奴らが蔓延っているのも事実.
ただ一方で,情報過多なデジタル社会で何も知らないと自覚せざるを得ない心理状態に追い込まれる奴らや,デジタル社会など関係なく面倒なコミュニケーションを避けるためにある種の逃避として無知であることに落ち着く奴らも増えている.
後者に少し焦点を当ててみよう.
果たして彼・彼女らは「無知の知」に到達していると言えるのだろうか?
この言葉は無知である自分を認識することよりも,その後の過程である「無知の恥」が重要なのではないか?
「恥」という表現は誇張しすぎであろう.
しかし無能さに諦念とともに降伏するのではなく,恥ずべき失態として自己を戒め,そして新たな知の世界への好奇心とともに自己研鑽へ進む過程が大切なのでは?
そういう意味では,後者は「無知の知」ではなく「知への虚無(ニヒリズム)」といえる.
ここで前者の人々を思い返して欲しい.
無能さに諦念する後者と対照的に思える前者に該当する人々も知への好奇心とそれに続く自己研鑽に励む精神を失っているという点で,アプローチは違えどニヒリズムに没落している.
意図した訳では全くないが(無意識に偏っている可能性は大いにあるが),偶然にも一つ前の投稿と非常にリンクする形で帰結した.
トッドが現在の世界に見るニヒリズムはもっとマクロに語られるが,ミクロな顕れの一つはこういうことなのかもしれない.
おっと,ユーモアが全くないじゃないか,それではいけないよジョージ!
まぁ,てめぇら無能を恥じやがれ!って言ってる訳ではなく,無能を恥じる感覚が全くない人が理解できない私の自己満足的お話と言われればそれまでです.(「知」と「恥」が上手く掛けられたのが言いたいだけだろってのは指摘しないで....)
自己研鑽のために具体的にどうしたろと言われたら,具体的に答えを説けるほどまだ深められていなくて,ちょっとこの箱に残したくなっただけなんだわ.
さぁて,今日は古代ギリシア人も交えての晩酌になる予感.
(近々この箱でも触れるであろう話題を扱っている,最近読み進めている本)
ツァラトゥストラは何を語るか
はーい,今日もたくさんのお便りが来ています.
その中でいくつかにお答えしいようかと思いまぁす.
20代の方ですね,
「いつも楽しい配信ありがとうございます.」
こちらこそありがとねー.
「最近私はエマニュエル・トッドの最新書籍『西洋の敗北』を読みました.
その本では現在,世界の先進国,主に西洋諸国ではニヒリズムに陥っていて,社会や国家,イデオロギーは破綻し,道徳心すらもう失ってしまったと書かれていました.
約150年前にそれまでの科学的進歩の結果,世の中の諸価値根拠の絶対的存在である『神は死んだ』と考え,人間はそんな無意味な世界で生を全うする,すなわちニヒリズムの世界で創造と破壊を繰り返すしかないと説いたツァラトゥストラさんに質問です.
今の世界は先生が描いていたニヒリズムと合致するのでしょうか?
もし今を生きていたとしたら,ツァラトゥストラさんは何を語りますか?」
というお便りですが,,,
なるほどねぇ,私の時代では哲学的予言でしかなかったんだけど,本当に没落したっていう意見が出てきているんだねぇ..
んーー,お答えする前に一旦曲でも挟みましょうか.
♪♪♪.......
こんなラジオやYouTube配信面白いんじゃないか,なんてことを思ったりする今日この頃.
こんな本書いてみようかしら.過去の思想家が現代の問題にラジオコーナーで回答していくフィクション.
いや,ダメだな,,,,寒すぎる.
ただこういう思考を頭でぐるぐる回すのは悪くないと思う.
過去の哲学や史実から私たちは学んだり,それに準えたりするが,例えば上のように
「ツァラトゥストラ(ニーチェ)の言った哲学と現代社会には通じるものがる」
までは辿り着いても
「それなら,もしツァラトゥストラが現代社会を生きていたら何を語るだろう」
と考えるって意外と新しいんじゃないか.その想像力って過去の考えに囚われるようだが,意外と新しい発想・視点のきっかけになるんじゃないか.
え,そんなに新しい考え方でもないし,巷にはそんな本しかねぇくらいだよって?
それでも良いんです!私はこの方法で今色々捉え直してるんです!
久しぶりに積読解消の一歩を踏み出すことができ(一冊の本をハイペースで読み切れただけですが),さらにはその本には学生時代に研究で扱ったツァラトゥストラの哲学が絡んでいるではないか!とテンションが上がって発作的にこの箱を開けてしまった.
何にせよこんな早朝4時30分にすることではない.
まぁ,最近寝ようとしても脳みそがウィリーして走り回っているようでノンレム睡眠へ辿り着けないし,諦めてガス欠になるまで思考を続けようかと思います.
さぁ,ツァラトゥストラよ,この現代で何を語るか???
LEG GODT!
学生から社会人という門出を過ぎた頃から始め,多忙や身体の故障という言い訳から混
練された怠惰という休止期間も含めつつ今もなんとか続けている筋トレ.
週末に追い込みをかけるため,
さぁて今週も働くか!
と勢いよくアクセルを踏み込みたいところが,筋肉痛に見舞われ,耕運機ほどの勢いでスタートを切る.
まぁ,免許持ってないんですけどね.
ところで,学生時代にはバイトや自己満足に程なく近かった勉学により久しく経験できていなかった連休(あの頃が年中休みのようなものと言われたらそれまでですが,,,)というものを最近過ごす機会がある.正直,事前に予定を決めるのは不得手で,かといっても何もない時間を過ごすと鍛えても発達しづらいと言われる天性の負(−)思考括約筋が暴れ出すので働いた方が楽なボディで生きている.
ただ,それはそれで人間というアニマルに生まれてなんか勿体ねぇよなぁ,ということで,なるだけ休暇を有効活用したいと思い始めている.
そして昨日までの連休も活用した気になりたくて,とある場所へ...
久々にはしゃぎましたね.
ガキの頃は大好きでよく組み立てては飾り,またバラしては組み立てていたLEGO.
その殆ど全てを譲り渡すなどして手放してしまい,今では数年前にやっと登場してくれたBTTFのデロリアンがあるのみ.それも未だ開封できていない.
"Leg Godt!"
「よく遊べ!」
LEGOの語源であるこのデンマーク語のフレーズに少し考えさせられる.
最近遊べてないな...
暇がある時は酒を飲み,煙草をふかし,ギターを弾くか,映画を観るか,本を読むか,酒を飲むか,ダラダラするか,,,
ギター,音楽・映画鑑賞,読書はこの先もずっと続けていくであろう趣味ではあるが,そこに遊びも足していきたいところ.
あの頃のように,LEGOを作ったり,行ったことのない飲み屋,ちゃうわ,街へ探検してみたり,オモチャ屋でお気に入りを眺めてみたり.
オモチャ.
昔はモノに支配されるタイプではないと信じ込んでいた節があり,いや,別に"Our Great Depression is our lives." とかって不眠症と現代社会が生んだもう一人の俺が言いたかったわけじゃないんだけども,そういう時期もありまして.
でも最近ちょっと素直になったというか.
好きなモノに囲まれてもいいじゃんってね.好きなモノに対して,実際に買うことで敬意をって気持ちかもしれない.
この気持ちに気づかせてくれたのはQuinnとDarlingだろうか.
この子達もこの旅で私の元へ.
こんなオモチャとか買って並べたりするの楽しんでるんですよね.
いい眺めやなぁとか,この感じたまらんなぁとか思いながら酒飲む己にこそ幸あり,てな具合に.
ただ2024年の私は1/6スケールのデロリアン2台とキャットウーマン,そして1/4スケールのまたまたキャットウーマンが行き場を失いつつある,というか半分まだ未開封.
その上来年さらに1/6スケールデロリアンが今度は1885年より時速88マイルで我が家へこんにちはする予定.
本格的に趣味部屋を借りようかしら,不可能よ,でも借りようかしら,という始末...
不可能ではないか.
それを一つの目標とやらに,仕事に励みますか!!!!
あ,来年イギリス行くんだった.
Joke Daniel's
jeg vågner og angsten står der
jeg falder nedad i sengen
jordens overflade forsvinder
der er muld og vand og metal
blodets opskrift
sygeplejersken tager barnet og fører det bort
han græder længe længere nede ad gangen
mine hænder savner ham som en hud
hvad har barnet kostet
hvad har barnet kostet mig
jeg vågner og der er jeg ved at dø
(Ravn, Olga. 2020. Mit Arbejde. s.35. )
目覚めると不安がある
ベッドに倒れこむ
地上の境界面は消えていく
沃土と水と金属がある
血のレシピ
看護婦が子どもを取り上げ遠くへ運ぶ
彼は廊下をどんどん進み長い間泣いている
私の両手は皮膚のように彼を切望している
子どもは何を奪うのか
子どもは私から何を奪うのか
目覚めると死に瀕している私がいる
カノプス壺の市場価値
普段ウィスキーをストレートでしか飲まないが,この時期は氷の塊をオールドファッションに放り込んでしまう.
そして,なんてことをしてしまったんだろう!!と,木っ端微塵になったロールシャッハの前で叫ぶナイトオウルの如く叫びそうになる...夏ですね.
この箱を開くのも随分と久々で,少し懐かしいような感覚も覚える.
なぜまたこの箱を開けようと思い立ったのか?
そんなこと聞かれても,誰も聞いてないけど,聞かれても困る.
ただこの箱の一稿目にその答えは記した気がするからそれを参照してね.
唐突に語るが,500日?ぶりくらいにQuinnと会うことができた.
というのも彼が心斎橋のMarco Galleryで出品しており,帰阪していた.
今回の作品はカノプス壺をモティーフとしていた.
彼らしいな,,,とほくそ笑みながら手に取り眺めていたが,ふと感じることがあった.
古代エジプトで死者の心臓を除く重要な臓器を納めるためのカノプス壺.
現代社会ではそのような宗教じみた儀式を本気でやろうとすれば忌み嫌われるだろう.
ただカノプス壺に施されるような技巧に感じ取れる,美に対する情熱は時を超えて普遍的に受け継がれるべきだろう.それは装飾美術だけじゃない.
自分の生をいかにして燃やし尽くすか,その情熱は失ってはいけない.
私たちに生きる意味などない.如何なる生きる意味も所詮後付けだと思う.
ただ生まれたからには全力で生きることが使命.
そうして生きてきた人々の肉片と成り果てた臓器には神秘的な力が宿い,残された人々に美しい壺をつくらせたのかもしれない.もしくはあらゆる芸術に感化されて人々は生きる活力を得て,美しい死を遂げるのかもしれない.
魂を込めて生み出されたものに現代的,あるいは利便性優位な価値観はいつ追いつくのか,,,
本当に申し訳ないくらい何を言ってるかわからないですね.もう一回いつかちゃんと書き直します.ただぶっちゃけ全く整理できないままに昨日の彼との再会を個人的に振りたかっただけなんです.
正直作品を手に取った時は,
めっちゃええやん.
内臓味て.笑
レート合わせてるし笑
にしてもこのボックスええな...
くらいでした.
とにかく!アーティストとして信念を貫きながら進む彼の背中...
形態は違えど,そのような生業に何度も憧れた筆者にとっては少し大き過ぎて,輝き過ぎて,そして少し悲しげに映った.
だが,酒を酌み交わせばアイツはアイツだった.とんでもなくイかれてて,ユーモアで,優しすぎる男.またすぐにでも会おう.
これまで足を運んだ彼の展示会についてもいつかここで認めたい.
今度こそまともに,,,
Ken Kamide
Mit Arbejde
SKYERFORTÆLLINGER FRA STATSOMVÆLTNINGENS DAGE 1885—94(Forord)
Den storpolitiske Kamp, der danner Baggrunden for efterfølgende Fortællinger, ligger ikke længere tilbage i Tiden, end at den endnu huskes af alle; men det er iøvrig slet ikke nødvendigt for Forstaaelsen, at den kendes. Hvor forskelligt de politiske — ligesom Livets andre — Konflikter kan forme sig, de Lidenskaber, de vækker, de Tragedier og Farcer, som de afstedkommer, er alle Dage de samme; og heri søger Skildringer som disse deres poetiske Berettigelse. Her skal blot nævnes: det var i Paaskeugen 1885, at Ministeriet Estrup hjemsendte de lovgivende Forsamlinger og — støttet af Overklassen — lod Kongen kundgøre et Finansprovisorium, der kom til at strække sig over en halv Snes Aar. Den Ophidselse, som dette Skridt vakte særlig i de brede Lag, gav sig bl. a. Udslag i et Revolverattentat mod Premierministeren, hvilket havde Udstedelsen af flere provi soriske Love til Følge, saaledes en skærpet Presselov, lige som det blev den ydre Anledning til Oprettelsen af det forhadte Gendarmkorps. Adskillige af Demokratiets frem ragende Mænd sad i Fængsel. De ledende Medlemmer af Ministeriet dekoreredes med Elefantordenen.
(Pontoppidan, Henrik. 1899. FORTÆLLINGER Ⅱ. BIND. København: Det Nordiske Forlag.)
『雲 ー物語集:1885-1894年の国家変革時代よりー)
(序文)
あとに続く物語の背景を形作っているこの大きな政治闘争は,いまだに全ての人々に記憶されているということのほか,もはや過ぎ去った時代には存在しない.しかしその上それはその闘争が知られているということへの理解にとって全く必要ではない.人生における他の物事と同じように,どれだけ異なるかたちで政治闘争が展開されようが,それによって引き起こされる激情,覚醒,悲劇,そして茶番劇はどの時代でも同じである.そして本書ではこのような叙述がそれらの詩的正当性を求めている.ここで少し以下のことに触れる必要がある.1885年,イースターの週に,エストロプ内閣は立法議会を解散し,そして-上流階級に支持され-国王に暫定予算令を発令させた.それは10年もの間続くことになった.この一歩が特に幅広い層において引き起こした煽動は,とりわけ首相に対する反対運動に現れ,それはさらなる暫定法の発令,例えば憎たらしい憲兵隊の設立の外面的契機となったちょうどそのときの厳しい新聞検閲というような結果になった.多くの民主主義の傑出した男たちは牢獄へ入れられた.内閣の先導者たちはエレファント勲章を授けられた.
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謝肉祭
今月末に教授と卒論に関してZoomでミーティングさせていただけることになった.
昨年末から今まで月の半分以上を某予備校のアルバイトに捧げていたため,研究に関してミーティングを開くのが申し訳なくなるくらいに進んでいない.
やっと最近本腰を入れて文献を読んでいるが,デンマーク語力がまだまだ乏しい私はとにかく読むのが遅い.日本語の本でも読むのが早い方ではないのに,,,
それでも必死でちびちび読んでいくしかない.そういう意味では定期的にミーティングをさせていただくことで,逃げ出さんとちゃんと読まんかい,このままで何を報告するつもりや,と自分に言い聞し,以前よりは日本語の文献に逃げ出すことも減らせているような.
今後の計画はざっくり立ててあるのでそれを裏切らないようにやっていかねば...
しかし私,またやってしまいまして.
やらねばならないことがたくさんあるのにもかかわらず,こんなものに手を出してしまっている.
全6巻からなる,誰もが名前は知っている(激安雑貨店のおかげか)セルバンテスの大著.
いや,一応ね,研究に関係していないことはないんですよ,バフチンのポリフォニーが私のテーマに大きく関係してまして,ポリフォニーを知るには,その源流にあたるカーニバル文学も知っとかないと,と思いましてね,ならばドン・キホーテは読んでおかないとってなるでしょ?
分かってます,もちろん読むべきだと思いますよ,でも今ですか?
いつやるの?今じゃないでしょ.
友人から借りた本も一冊読めていないのに...
あ,でも一冊は読みましたよ,信頼できない語り手の使い方が非常に上手い.
またその本についてもここで感想を認めたい.
その前に,あなた,読めていない本が部屋に溢れていますよ.
誰かに特技を聞かれたら積読と答えようかしら.
そんなことを聞かれる間柄の人間がいるとでも?
よくバイト先の悲惨な現状を,尻に火が付いているどころか背中が爛れてるわ,鎮火もせんからアロエ塗る時間もないわ,と冗談を飛ばしているが,あんた焼身死目前ですよ.
とにかく,手を出したからには仕方ないので『ドン・キホーテ』は積まずにしっかり読もう,そして研究もしっかり進めて,借りた本も読もう.
何を当たり前なことを,,,
次ここに戻るときには様々な面で進展を遂げていたらと祈りつつ,作業に戻るとしよう.
あ,会話の授業の課題もやらねば.
Ha ha ha.