What's in the box?

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私はアル中である.

朝5時ごろにいつも通り浅い眠りから目を覚まし,コンビニでホットコーヒーを買い,ポントピダンの短編としかめつらで向き合っていたときに,ふと前々から気になっていた映画を見ようという気になり,朝一で見てきた.

 

 

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カポーティのドキュメンタリーフィルム.

正直彼の作品は『草の竪琴』(The Grass Harp)しか読んだことがない.

なので知識をひけらかした感想を述べることはできないが,カポーティという一人の人間は興味をそそられる要素を多分に持った人だと感じた.ただ文学を勉強しているものとして少し残念だったのが,彼の作品や小説家としての一面が大幅にカットされていて,ガキっぽくて魅力的で頭にくるような彼の人格,そしてバックボーンに焦点が当てられていたことだ.まぁ,このような映画を見る時点で小説家としての彼は知り尽くしておくべきなのかもしれない.

そういえばずっと『冷血』は読んでみたかったな.この機会に読んでみるか...いやここ最近深刻さが如実になっている積読を悪化させてしまうような気がするので我慢しよう.あれ,こんな本買ってたっけ,という思いはもうしたくない(これからも日常茶飯事でしょう).

 

 

 

しかしながら最近テアトル梅田という映画館に行く機会が多い(本日もそこで鑑賞).

この間もジャック・ロンドンの自伝的小説をイタリアを舞台にし映画にした『マーティン・エデン』を観た.

莫大な金をかけたドンパチ映画や,なんでこんなものを,,というような若手俳優を拝むためだけの邦画が連日上映される箱の大きい映画館よりも面白そうな作品をテアトル梅田は扱っている.別にドンパチ映画が嫌いなわけじゃないけどね.今の気分ではないだけであって.

 

そして今日もまたぜひ観に行きたいと思う作品のチラシを持ち帰ってきた.

 

 

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バーンスタインウィーン・フィルによるベートーヴェン交響曲シネコンサート.

 

ベートーヴェンが生誕250年というのは知っていたが,バーンスタインが没後30年というのは知らなかった.もう少し最近に亡くなったイメージだった.彼の指揮するガーシュインを何度聞いていることか...

ちなみに先日ゲルギエフ指揮によるウィーン・フィルのコンサートを観て(チケットは頂きました),こういうことで感化されやすい私の中でクラシック熱が再燃している今だからこそ観たくてたまらないと思っている.

クラシック音楽に造詣が深いわけではないが,私とクラシックの出会いは,私が私を認識する前らしい.親戚にもらったディズニーアニメーション映画『ファンタジア』のVHSを,まだ可愛さしかなかった20年以上前の私は毎日かぶりつくように観ていたそうだ.確かにあの作品はとんでもなく素晴らしいと思う.確か続編の『ファンタジア2000』ではアンデルセンの「しっかり者のすずの兵隊」を題材としたアニメーションもあったな.

知らず知らずにデンマーク文化に触れていたんですねぇ...

 

 

 

 

 

だから何.

 

 

 

 

 

 

偶のオフを充実した形で過ごせそうな予感がするので,なんの脈絡もない下らないブログを認めるのもこの辺にして,また鬼の形相で19世期末の短編小説と向き合うことにしよう.

 

 

 

 

 

 

 

f'(x)

最近私の中であるルーティンが確立されつつある.

 

 

休みの日にいつものカフェへ出向き,やるべきことややらなくても良いようなことをある程度こなし,梅田へ向かう.そしてメンサ会員より少なくなったであろう(そもそもメンサ会員より多かったのか?)喫煙所で一服し,某ブリティッシュパブでハッピーアワーで格安のジン&トニックを飲みながら読書.その時々でもう一杯飲むかどうかは変わるが,絶対最後にダニエルのシングルをオンザロックで嗜み,帰路につく.

 

おそらく世間的に見れば褒められたルーティンではないだろう.

むしろ大学生の分際で図に載っとるんとちゃうか,とか,ボンボンはよろしいですね,とかボロカスに言われそうである.

 

ただ休学中の身分であるがゆえ,同僚の分まで労働に勤しむ羽目になり,物欲もほとんどない私は正直金には余裕がある.しかも私は酒が趣味と言ってもいいほど飲むことは好きだし.

いや,それ以前に金はどう使おうが個人の自由だろ.

 

 

私は誰にキレているのか...

 

 

ところで話が大きく変わるが,TOEIC受験を終えた私は(手応えについては書くのが面倒なので割愛),ちょっとあることがしたくなり今日やっと少しそれをやり始めた.

 

そのあることとは,,,

 

 

 

 

数学.

 

 

 

 

いやまず語学と文学やれよ笑,と自分でも思いすぎて笑っちゃうくらいなのだがやりたくなったら仕方がない,やっちゃえ.

てなわけで久しぶりに高校時代に使用していた青チャートを広げて,微分をやり直している.

時間とは恐ろしいものですね,高校三年間で培ったものをこうも簡単に脳内から消し飛ばすとは...

本当に一から再スタート.

 

でも不思議なことにわからないこともそれほどストレスにならない.むしろ計算しながら頭を抱えてる瞬間は邪念が吹き飛んでいるような感じがし,心地がいい.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私も歳を取ったのか,,,

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

黙れ小僧.

まぁなんで数学がやりたくなったのかというと,もともと私は理系的な話が好物でありまして...理系の人間から,そういう話を聞きながら酒を飲むのは楽しい.だからといってそっち方面の研究などを自分でしたいとは思わないのだが,もっと理解を深めたいとは常日頃から思っていたのです.

かっこつけて言えば,あまりにも基本的なことも知らないのにただ聞いているだけでは話している相手に失礼な気がしたのだ.

赤裸々に言えば,わからない点が出てくると純粋に腹が立つからだ.

 

せっかくの休学期間だし,やることもないから(F**k, COVID19)始めたまでです.

順調に進めば数ⅢCと言われる未知の領域にも踏み込みたいと思ったり.

 

 

ストレスまみれの今日この頃についても述べたがったが,明日にはまたストレスが増えそうなので,我慢できなくなったら書き殴ってやろう(ラップトップだと”殴り打つ”が正しいのか?)と思う.

 

 

 

 

 

そろそろダニエルを飲もうか.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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(写真は先日デンマークから届いた本たち)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Levering

9月25日. 早いもので今年も終末に向かい始めて3ヶ月が経とうとしている. まだ学生の身分である私にとっては年末よりも年度末の方があらゆる’終わり’を感じるのだが, 諸事情により10月から休学生活に入る今年は, 例年とは立場を逆転させ周囲の人々よりも早々に’終わり’を感じることにしよう. 新生活の’始まり’とやらを作るために...

まぁ, そんなことを言っても8月半ばから夏休みと呼ばれる期間を迎えている時点でその境界線は曖昧なのだが.

ちなみにこの休学期間では, 普段立てることのない, いや立ててもその通りに行ったことがなく, 近頃避けてきた目標とやらを2つほど立ててみることにする. 目標と言っても超短期完結してしまうものであったり, それと呼ぶには少し具体性の欠け過ぎているものであったりという, 計画性のなさが一目瞭然の代物だ.

 

まず1つは, 10月後半に受けるTOEICという日本社会でニューエンプロイーたちの英語力を測るのに過剰に重宝されている試験で良い結果を残そう, というものである.

あまりこのようなテスト系のスコアなるものには興味がないのだが, 私に英語を勉強させるための活力源, そしてTOEIC信者たちを黙らせるための武器として受けようという気になった.

ここでは具体的な目標公開は避けるとして, 最近対策をしていて1つ気になっていることが, 私の使っている某教材のブリティッシュイングリッシュスピーカーが息継ぎをいつしているのだ?ということだ. スピード的に聞き取りづらいわけではない(むしろアメリカン-よりも好みの問題で私は聞き取りやすい)のだが, こちらが苦しくなってきてしまうのでぜひ適度に呼吸を挟んでいただきたいものだ...

まぁそんな話は置いておいてもう本番まで1ヶ月程であるが, やれるだけやってみよう.

 

 

なぜTOEICの話を,,,

 

 

 

あ, 目標か.

 

 

 

 

 

2つ目は卒論の執筆を進めるというものだ. 皆さんの期待を上回る具体性のなさだと思う.

もはや,

 

お前ずっと言ってるやんけ, 卒論進めるなんてこたぁ.

 

と己の胸ぐらを掴み言ってやれるなら言ってやりたいものである.

 

 

しかし今回の私は少し違う. 何故なら以前にネイティヴの教授に紹介されて買うのをしぶっていた, 私が研究対象にする作家の伝記を通販で買ってしまったのだ. 

 

 

 

 

馬鹿高い.

 

 

 

 

いや, ほんと笑っちゃうくらい高い.

 

 

 

 

 

...何が?

 

 

 

 

 

 

送料!

 

 

 

 

 

本体代金もさることながら, 送料がおそろしく高い. デンマークのサイトで購入したからだろうか. しかしそこでしか見つからなかったんですよねぇ...

 

 

そう, 今回の私がどう違うのかというと,

こんなクソ高い本を買っておいてやらんかってみぃお前,,,

というプレッシャーを自らに与えたのだ.

 

 

まぁ, プレッシャーどうのこうのよりシンプルに必要だと思うし, 欲しかったってところもあるんだけどね.

10月上旬にはブツが届くようなので, 周囲がいかに楽して単位を稼ぐか奮闘している間, 私はどこかに篭りその処理をしよう...(真剣に向き合いたいと思います)

 

 

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(画像は最近観に行きとても面白いと感じた映画のポスター)

 

 

 

 

 

 

Quinn & Puddin’

ここ最近, 殺人的ともいえる暑さがやっと少し穏やかになってきた.

そもそも夏という季節はあまり好きな方ではなく, 毎年夏らしい何かをするわけでもないのだが, 今年は特に何もないまま, ただ時だけが酷暑の峠を越えて秋という束の間の休息に向かっている気がする. これもCOVID-19が引き起こした"自粛ムード"とやらのせいなのだろうか. そう考えると奇人扱いされることの多い私もなんら人と変わらぬ, 環境に左右される存在なのだよと感じる.

 

 

 

まぁ, 実際問題夏から計画していた留学が頓挫し, それにより卒論や院試に関する計画も練り直さなければならない状況に追いやられているのだし当然か...

卒論か, 進めないとな...

何故こうも私の書く日本語のは美しくないのか...

 

 

 

 

 

そういえば, かろうじて夏らしい話をすれば, 私の数少ない, いやほんと少ない友人と呼べる間柄の人物が帰省し, 約1年以上ぶりに久々に酒を酌み交わした. 彼とは高校時代からの付き合いである.

 

私は正直好きな相手, たとえ親友であっても, 久々に会うとなると緊張してしまう.

 

相手が変わってしまっていたらどうしよう,,,

 

とか

 

変わってしまった自分に気付いてしまうから...

 

とかそんな詩的でロマンチックな理由ではない.

 

ただ純粋にどうしたらいいか分からなくなり, 構えないよう意識すればするほど構えてしまうのだ.

 

今回も待ち合わせ場所に1人突っ立っているとき, 相手がきたらなんて声を掛けようかとばかり考えていた.

 

 

 

"元気してたか?"

 

 

"久々やな!"

 

 

まぁ毎度この二言しか思いつかないし, この二言を噛まないように言うのだが.

 

ただ親友というものは面白いもので, いざ話始めれば互いに何にも変わらず, くだらないことから何から何まで話してしまうものでして...

 

 

 

"まるであの頃に帰ったような感覚!"

 

 

 

なんて背筋が凍るお寒い発言は控えるが, おそらく友人という関係性にはベン図のように重なり合う領域があって, 親友となるとそこが広いが故に無意識かつ自然とゾーンに入ってしまうのだろう.

 

 

この表現も中々にお寒いか.

 

 

とにかく彼と近況報告をしあい, 共通する趣味嗜好に関して話をできて非常に良かった.

久しぶりに充実した余暇を過ごした感覚である.

 

ありがとう.

今度は私が奇襲作戦でも練ってそちらに赴くことにしよう. 

 

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(画像は現在撮影中のthe Batmanシリーズ最新作のポスター)

 

ーォヴ・ンヤ

授業やバイトのない日にはよくある話で,数日前までは休みにはこれとあれを終わらせて,,,などと計画を頭の中で練ったりするのだが,いざその日を迎えるとなんのやる気も起きない.

 

しかし私をナメてもらっては困る.そんな予感がしたら思い切って外に飛び出す(この先再び外出し辛くはなりそうであるが...)という技を身につけた.

 

 

そして飛び出し,国立国際美術館で現在開催中のDanh Vo oV hnaD ヤン・ヴォー ーォヴ・ンヤ展に行って,このくだらないブログを書いている.(結局計画は進んでいない)

 

 

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なんとなく美術展に行きたい気持ちになり,たまたま目についたこの展覧会であるが,思いのほか面白かった.なんとこのヤン・ヴォーさん4歳の時(1979年)にベトナムからデンマークに難民として逃れた経歴があるそう.そしてコペンハーゲン 王立美術学校にて勉強もなさったとか.

 

だから作品の中にデンマーク語の書類(おそらく婚姻届と離婚届)があったのか...

(解説がないからわからない人多かったのではないか)

 

デンマーク語学習者なものでそこの作品の前では他の人よりも長く足を止めてしまった.ソーシャルディスタンスが重視される中で迷惑な客だっただろうか.いいや俺も金を払ってるんだから,自由に観させろ(こういう奴は消えてほしいですね)

 

またこの展覧会に足を運んでもいいな,今度は音声ガイドを借りよう.

 

そういえば前回のブログでデンマーク文学を紹介すると言っていたような...

 

 

有言実行.

 

 

Solbær(2006)-Naja Marie Aidt

簡単に作者を紹介しておくと,Naja Marie Aidt(1963-)はグリーンランド生まれの女性作家で,彼女が7歳の時にデンマークに移る.グリーンランドにおける厳しい自然の中での生活が彼女の作風にも影響を与え,生々しく過激な描写が特徴ともいえる.2008年からニューヨークのブルックリンに移住していたが,最近またデンマークに戻ってきたらしい.

 

そんな彼女が2006年, 短編小説集Bavianを発表し,その中に収められたのがこの作品である.

以下にあらすじを紹介する.

 

主人公とヘレが庭で会話もなくジャム作りのためにクロフサスグリ(solbær)を摘み取っているシーンから始まり,主人公はその作業中に2人で事前にかったチキンをどう調理するかを考えたり,ヘレの腕にある薔薇のタトゥーを見て昔のことを思い出したりしている.

 家に戻った後も彼女たちには会話がなく,また主人公はヘレを気に掛けながらも昔の男を思い出したりしながら,応答のないヘレとの時間をやり過ごしている.ヘレは産む気のない子供を妊娠してしまっているのだ.そんな時親切な隣人が住む家畜小屋に明かりが灯っていることに気づき,覗いてみると,隣人夫妻の息子が黒い羊を犯している現場を目撃する.

 翌日彼女は結局調理せずに腐らせてしまったチキンを捨て,買い物帰りの隣人夫妻にいつものように挨拶をする場面で物語は幕を閉じる.

 

このストーリーにはマジョリティとマイノリティが存在する.

マジョリティに当たるのは隣人夫妻であろう.親切で主人公たちとの関係も良好である.

そしてマイノリティであるのが,おそらく同性カップルである主人公とヘレ,そして羊とセックスをする隣人の息子,犯される黒い羊である.

黒い羊はデンマーク語でコミュニティに属するもライフスタイルや行動に関して期待に応えられない人や機関を表す表現としても用いられる.

このように当たり前とされるマジョリティと,世間的には”異常”とされるマイノリティがこの物語では交錯している.

 

それではなぜこの物語が”当たり前”に疑問を投げかけているといえるのか?

それはラストシーンで,主人公がいつものように挨拶するシーンがなんとも奇妙に映るからである.

 

この小説は謎が多くある.主人公の性別も明記されていないし,ヘレが妊娠した理由もわからない.ただ互いに何かを抱えた同性(←私の見解)カップルの陰鬱とした日常のワンシーンを描いている.そのシーンの中に,衝撃的ともいえる獣姦の場面が淡々と描かれるのだ.

そして締めくくりに”当たり前”とされる生活風景が突然現れる.

 

私たちの常識であったり,当たり前って誰が決めたのだろう.

おそらく他人にはいえないような,もしくはわかってもらえないであろう考え方や感情,趣味嗜好などをそれぞれが持っているのでは?

むしろそのような点がない人間の方に違和感を感じる.

 

十人十色と言われるように皆が違って当然であるのにもかかわらず,皆がある一定の枠内で生きることを暗黙の内に強いられている,そして大半の人間はそれに居心地の良さを覚え始めたり,気づいてすらいない.

 

 

これって物凄い気持ちの悪いことなのではないか?

 

 

この小説を読んだ時,そんなことを提示された気持ちに私はなった.

 

 

 

 

今の世界が気持ち悪くてどうしようもないから,逃げ出して1人放浪します

 

 

 

 

とまでは言わないし,そういう世界にもいいところはもちろんある.

 

 

 

 

 

 

 

ただこの”気持ち悪さ”に向きあう必要性がここ最近さらに増してきているのではないか?...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鉛の飛行船

何をするでもなくただ時間が流れていくのを待つ.

 

 

そんな日があってもいいと思う.四六時中何かに集中して,満了できれば90年ほどとされる人生を,そんな長い人生を,過ごせるわけがない.何もしない瞬間も大切なんだ.怠惰であることの大切さ.The importance of......

 

 

 

 

そんな御託を並べたくなる土日を送ったわけであるが,本日からまた再始動しなければと思いつつブログを書いている.

 

そういえば前回このブログを書いた時はradioheadの2016年東京公演がYouTubeで公開された日だった.

彼らの新しいスタイルや音を追い求める姿勢は本当に素晴らしい.

この週末も彼らの創造性に酔いながら過ごしていたわけだが,ふと目に入ったアルバムを再び聴きたくなり,今日はそれを聴いた.

 

 

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名盤.

Led ZeppelinBBC SESSIONS.

 

スタジオアルバムももちろん素晴らしいが,彼らの魅力の源はこのアルバムに凝縮されているのではと思う.

しかしradioheadで,現代音楽やテクノロジーを取り込んだ複雑かつ繊細な作品たちに感動し,

 

 

私もあらゆることに挑戦,新たな何かを生み出さねば...

 

 

という訳のわからぬ,やる気の出ていない時ほど起こしがちな,’発作’とでもいうべき症状に見舞われている最中に,このモンスターバンドのどシンプルなのにとてつもないエネルギーと技術に圧倒され,

 

 

 

私は何をしているんだろう?

 

 

 

という蒼く優しい空に問いかけたくなるような, 自分に対する居た堪れない気持ちを感じてしまった.

そんなことはどうでもいいのだが,音楽にある力って言葉では表現し難いが,時々ものすごく偉大で高尚なものに感じて仕方がない.

かつてジミー・ペイジが,音楽は人々の心に訴える最も強力な言語の一つ,とかそんな感じのことを言っていたと思うが,頷ける瞬間が多々ある.

 

 

ただ人によっては音楽にあまり興味がないという.私もそんな人を何人か知っている.

これだから趣味嗜好というのは面白い.十人十色の好みがある.何を当たり前のことを,と思われるかもしれないが,この世の中では本当にそれが当たり前として認識されているのだろうか?

流行や消費社会に翻弄され,内心苦しさや虚無感を覚えている人,もしくはそこに生きがいを感じている人が多いのでは?

 

よく考えれば流行というのは怖い現象である.十人十色であるから美しい趣味嗜好をコントロールし,ある種の模範を生み出す.そしてそこに人々が群がる.

全く別の何万,何億という個体が,こうもあっさり同じ方向へ操作されるのか...

 

 

 

 

最終的に全然違う話になってしまった.

気づけば日が傾く時間である.

やらねばならぬこととやりたいことが溜まりに溜まっているので,とりあえず酒を飲もう.

 

 

p.s. 今回成り行きで’当たり前’の話が出たので,次回はその’当たり前’に疑問を呈した(と私が解釈した)デンマーク文学作品を紹介しようと思う.

 

 

結婚って何

暑い.

 

リビングでパソコンと向き合いコーヒーをすすりながら,課題やら趣味に没頭したい日々であるが,夕刻になると太陽が窓から過度な主張をしてくる.

そろそろ自宅でもアイスコーヒーに切り替えて良さそうな.

そういやギターを弾いてる時も気づけば薄っすら汗をかいている.

TUBEがやっと仕事を始められる時季になると,その汗はフレッチャーに指導を受けるアンドリューのようになっていたりも.

 

”Not my f*ckin' tempo!”

 

ギターや映画の話はまたいつか気が向いたら書いてみるとして,,,

 

先日名作といわれている小説を読んだ.

 

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 ジェイン・オースティンの『高慢と偏見Pride and Prejudice (1813).

ロマン主義の全盛期である19世紀初頭のイギリスを代表する作品.

そういや1813年ってキルケゴール(キアケゴー)が生まれた年ですね.アンデルセン(アナスン)も当時8歳.

文学を勉強していながら,まともに本を読みだしたのは大学に入ってからである私は,今回初めて読んでみた.

 

おそらく文学を学んでいなかったら自分から手に取らないであろうこの作品.

 

どうせ恋愛に浮かれた女とバカな男たちのお話でしょうよ.

 

そんな感じで見向きもしなかったと思う.

そして正直1度や2度は挫折するだろうと踏んで読み進めた結果

 

なんダァ,この傑作はぁあ!

 

と.

いやぁ飲み込まれた.何より,本当に200年も前に書かれた作品なのか?と疑わしくなるほど,人物描写が素晴らしい.

私自身が父以外女性に囲まれて育ったからか,

あぁ,こういう女おるわ

とか

あれ,これ俺っぽくない?,えらい言われようやけど.

などと思いながら660ページもあるがすぐに読み終えてしまった.

当時の男女のあり方,そして結婚が持つ意義をとてもリアルに描いている点においてとても興味深かった.おそらく現代の価値観(その現代っていつまでなんでしょう...)を絶対的なもので過去の価値観は悪しきものだと決めつけちゃう方々は拒絶反応を示してしまうのかもしれないが.

 

ところで結婚って何なのだろう.

2X年しか生きてきていない私にはまだ理解できないし,そもそも理解するものでもないのか.

全く結婚なんてしたいと思わないなぁ.したい人はしたらいいけど.

そんな風に考えていた私に,この小説は,結婚したいと思わせる...

 

...ことは断じてなかった.が,しかし結婚は愛を象徴する形としてではなく,むしろ生きるための手段であったり,ステータスとして赤裸々に登場人物たちによって語られる様は非常に面白い.

当時は結婚とはそういうものだったのかもしれない.いや現代でもそうか.

結婚観をテーマにいろんな人と話してみても面白いな.いやどうせみんな感情的になるからやめておこう(その悪癖を直せアンドリュー!).

 

それはさておき,中公文庫のこの作品,訳もとても読みやすく,訳した際に考慮されている点も冒頭に記されており,翻訳するということがいかに多岐に渡った知識がいるか(特に古典を訳す際は)改めて思い知らされた.

挿絵も理解度が深まるし好きだなぁ.

 やはり偏見で片付けてしまわないで色々読んでみないとと思わせてくれた作品でした.

 

さて今夜は酒を片手にmit yndlingsorkesterであるradioheadに酔いしれるという至福が待っているのでやるべきことをさっさと片してしまおう.